駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

ポーの短編集を読みました(^^)

『黒猫/モルグ街の殺人』 エドガー・アラン・ポー 小川高義・訳  光文社古典新訳文庫
 
前に森晶麿さんの「黒猫の遊歩あるいは美術講義」を読んで興味がわいた、ポー。
ポーは全くの未読で、「モルグ街の殺人」が推理小説の元祖、ということしか知らなかったので、
読んでみて想像と結構違って驚きました。
推理小説ばかりを書いてるわけじゃないんですね。(そんなことも知りませんでした…(^_^;))
この本にある紹介文によれば、ポーは詩人でもあり、
「計算された恐怖を創作する『理詰めの芸術派』」なんだそうで、
「哲学系ホラー」という感じの作品たちでした。

いやー、名作古典の主人公たちはまともじゃない、と先日記事に書いたのですけど、
今回も違うことなく見事に歪んでいました…(^_^;)
この捻くれっぷりは共感はしないけど、背徳の魅力と言いますか、なんか引き込まれました。
で、想像以上にツボに嵌まって楽しめたんですね。
 
<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
推理小説が一般的になる半世紀も前に、不可能犯罪に挑戦する世界最初の探偵・デュパンを世に出した「モルグ街の殺人」。160年の時を経て、いまなお色褪せない映像的恐怖を描き出した「黒猫」。多才を謳われながら不遇のうちにその生涯を閉じた、ポーの魅力を堪能できる短編集。
「黒猫」「本能vs理性─黒い猫について」 「アモンティリャードの樽」「告げ口心臓」「邪鬼」「ウィリアム・ウィルソン」「早すぎた埋葬」「モルグ街の殺人」の8編収録。
 
主人公たち、悪行三昧なんですけど、その語り口が妙に冷静で知的で理性的で、
その粗野とも思える行動とのギャップにぞぞっとなります。
かなり冷静に分析しながらも、常軌を逸した野蛮な行為、
そして呆れるほどの開き直りっぷりを見せつけてくれるんですね。
執拗な良心への拘り(嫌悪?囚われ?)があり、人間には「ひねくれた邪鬼のような精神」があり、
それゆえ「してはいけないという理由でしてはいけないことをする」のだ、ということを繰り返し述べます。
その言い分にはあまり同意できませんが、
強引な自論を展開する様は引き込まれるような強烈な引力があります。
 
この短編集は、訳者の意図で、連想ゲームのように、同じ要素を繋いで作品が並べられます。
最初読んでるときは、似た話が並ぶようでこの作りはどうかな、と思ったんですが、
読んでいくうちにポーの姿が浮き彫りになってくるように感じられて、
この短編集の並びの効果が分かったような気がしました。
そしてラストに「モルグ街の殺人」。
冒頭にこれをもってこられたら、これ以外の話は何でミステリじゃないの?と
短編集の作品たちをベツモノに感じたかもしれませんが、
ラストに来ると、これはまぎれもなくポーの作品であると受け入れられるのです。
ああ、こういう話を書くポーだから、こんな理屈っぽい探偵役が出てくる推理物に繋がるのね、と思えました。
 
冒頭、怒涛のように前置きを語り出し、突然現状が説明され、
習字の筆をすっと引き上げるように終わる話が多かったように思います。
そのため短いページ数でも、なんか翻弄されて、濃い読書になりました。
彼の大いに語る様は、共感するにせよしないにせよ、一読の価値ありだと思います。
私は彼の主張には同意できないけど、それでも納得できる言葉は結構あって、とても興味深かったです。
なかでも「黒猫」「邪鬼」「ウィリアム・ウィルソン」が好きでした。
 
彼の主張は同意できないと言いつつも、作品的には結構相性良く感じたので、
もっと他の作品も読んでみたいなと思いました(^^)

以下の話は余談ですけど、「モルグ街の殺人」のネタばれに繋がるかも?知れません(笑)
…気になる方はご注意を(^^ゞ
 
「モルグ街の殺人」は途中で犯人に気付きました。
それというのが、「松本人志のMHK」を見ていたからで、
あの「名探偵三河安城シリーズ」で突然出てくる○○○はこれからだったのか!?と思ったりして…。
あのわけわからんコントも色々奥が深かったのかもしれないなーと変な感心をしました(笑)
結構好きでしたけどね、あの番組(^^)
でも視聴率はかなり悪かったそうなので、このネタが分かる人がどれくらいいるのかわかりませんけど…(^_^;)