駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

晋作さんゆかりの地を訪ねる・・・(駄)

ゆかりの地…などと言いながら、わけわからず廻っただけの駄文記録です(^_^;)
お暇な方のみお付き合いください~。
 
お天気に恵まれた昨日、またまた山口に遊びに行きました。
今回は源平じゃないですよー。
あちこちに貼られた晋三さんを見てまわりに・・・じゃなくて、高杉晋作さんゆかりの地を訪ねてみました。
本当はもっと本とか読んで予備知識を持って臨みたかったのですが、
とりあえず友人と、ノリと勢いでGO!となりました(^^ゞ
 
最初に、晋作さんのお墓がある「東行庵」に寄って、そして萩へ。
萩では、「萩往還」「松陰神社松下村塾」「萩博物館」「高杉晋作誕生地」「木戸孝允旧宅」と、見て回りました。
 
東行庵は、広い境内自体がとても素敵な場所で、歩いて回るだけで気持ちよかったです(^^)
(広いのにめちゃくちゃきれいに掃除してあってビックリ!!)、
そこで、高杉晋作に関する説明文を読みながら、
「晋作さん八月生まれなんだねー。夏に生まれたんだねー」としみじみ妄想にふけっていたら、
「それ旧暦だから。その時もう秋だから」と友人からさくっと。すんません…無知で…。
 
東行記念館では、現代までつながる高杉家の家系図がありました。
「平成生まれの子孫…夏美ちゃんなんだね。…はっ、春じゃない!」
高杉晋作さんの名前は春風で、高杉家は先祖代々「春」の字がついた方が多いんですよね。
しかし平成にきて、初めて「夏」の文字が登場!(そこにあった略図によると、ですが)
これは高杉家第二章の開幕か!?と一人ドキドキする私でした…。
 
松陰神社では「松陰先生の教訓入りおみくじ」を引きました。
お金を入れると自動で出てくるのですが、その時にピンポーンと玄関のチャイムのような音が鳴ります・・。
おみくじは本殿のすぐ横にあるので、なんか先生のお宅の前で、
「すいませーん、ちょっと運勢見てもらっていいっすかー?」と、言ってるような気分になりました(笑)
そんな私は先生から「小吉」と賜りました…。ありがたや、ありがたや。
 
萩博物館では、ガイドの方から萩藩についていろいろなお話を聞くことができ、ためになりました。
そこでは、晋作さんの年表を見た私が、
「あれ、さっきのとこでは松下村塾に入ったの18歳って書いてたのに、こっちは19歳になってるよー。
え、おかしくない??」と大慌てで友人に言ったら、
「そっちは数えでしょ。間違ってない」と冷静に返されました…。すんまっせん、ほんと無知で…><
 
萩観光パンフを見てて気づいたことが一つ。
萩循環まぁーるバスというのが市内を走ってるのですが、その説明文で、
『西回り「晋作くん」は城下町を中心に、東回り「松陰先生」は東光寺や松陰神社方面まで回ります。』と…。
「晋作くん」と「松陰先生」・・・。
あちこちのパネルで松下村塾の双璧、高杉晋作久坂玄瑞と説明しまくってんのに、
そこは玄瑞くん、外されるんだ!!双璧じゃないじゃないーーーっ!!と突っ込んだ私。
だって銀英伝に置き換えたら、「ロイエンタールくん」「ラインハルト元帥」なわけで、
「ミッターマイヤーくん」は外せないじゃない!!バランスが悪い!と、冷めた目の友人の横でひとり力説!!
いやいや、そんなアホなことで騒いでないで、さっさと松陰先生と高杉君の「世に棲む日々」を読めってね(^_^;)
 
あと、友人と話すたびに「松下村塾」がうまく言えない私…。
「これって早口言葉で使えるよね。きゃりーぱみゅぱみゅ並に言いづらいよね」と友人に嘆くが、
同意してもらえず…。
 
高杉晋作誕生地」では、高杉さんちのお宅を覗けます。
思わず、そっとあちらこちらを触ってみる私。
だって、この木に晋作さんが登ったかもしれないじゃない!
このほこらに晋作さんがぶつかったかもしれないじゃない!
と妄想するだけで落ち着かなくなりました(笑)
 
で、ここで展示されてる幕府からの手配書の人相書きがなんかすごかったです…(^_^;)
これが当時配られまくってたかと思うとなんか衝撃なんですけど…。
マンガのようなタッチで、しかも全然似てない。バカにしてるとしか思えない似顔絵…(^_^;)
もはや幕府方、捕まえる気ないな。
(見られたい方は<高杉晋作 手配書>で検索すれば画像が探せますよ)
 
そのあとに、木戸孝允桂小五郎)旧宅に向かいます。高杉家から歩いてほんのちょっとの距離。
うお、めっちゃ近くね?ご近所さんじゃん!!となんかうれしくなる私。
高杉宅は家の外からしか眺められませんでしたが、
和田宅(桂さんは和田家に生まれ、のちに桂家の養子になります)は中に上がれます。
昔の家だから、なんか全体的に低い…。(そしてここでもさりげなく触りまくる)
桂さんって当時にしては長身だったらしいけど、ぶつけたりしなかったのかな??
桂さんはここに20年ほど住んでらしたそうです。
そしてそこに展示されている長押の落書き。墨で書いた「死而後巳」(ししてのちやむ)。
おお、桂さんの落書き!やんちゃな一面だ~。
しかし落書きで孔子の言葉を書かれるのか!さすが偉人は違う。
 
とまあ、こんな感じであちらこちらを楽しく見て回りました。
(付き合ってくれた友人、ありがとう!!)
次回はまた下関で史跡を見て回ろうね、と一方的に友人に約束を付け、別れを告げたのでした。
以上、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
お疲れ様でした<m(__)m>