『義経の周囲』 大佛次郎
はは、難読作家名としてしか知らなかった大佛(おさらぎ)次郎さんの本を読むことになろうとは、
自分でも思わなかったなぁ。源平熱恐るべし。
こんなマニアックな本を紹介して、誰が記事を読むのかと思ったけど、
まあ自分の備忘録のために書き残します(^^ゞ
<内容紹介>(amazonサイトより)
藤原秀衡は「人間として鎌倉の頼朝も及ばぬほどに大きく、寛大で、北方の巨人なり王者の名に値した(中略)。人間として純粋に、義経に同情を持ち成人させ立派にしてから世間に送り還したのである」(「秀衡」より) 義経が正史に足跡を記すのはわずかに二年。華麗なる戦績と、最期の悲劇性ゆえに、多くの伝説・物語を生んだ、その生涯にまつわる風物、人間を重厚に語る、珠玉の歴史エッセイ。(解説頁・高橋克彦)
なんというか、ジャンプコミックとかで出してる、ファンブックを読んでる感じと言いましょうか。(変な例え…)
すでに知ってるエピソードも読み返して、何度も感動に浸ったり、
現在(といっても昭和40年くらい)の跡地に作者が「行ってみた」といい、
その記述を見て、さらに平安末期へと思いを馳せたり、
義経の二次創作本の紹介をみて、そのバラエティ豊かぶりを喜んだり、
とまさにファンしか楽しめないマニアックな本です!(笑)
決して義経入門編にはならないでしょうね~。これ読んで、源平に興味持ってくれるとは思えない。
ってか、ファンしか最後まで読めないと思う(笑)
私は源平に関する史料をちゃんと読んでないので、もう『平家物語』の引用があるだけで喜べる人間です。
ただ引用が、史料も創作もごちゃまぜだったり、能や歌舞伎からも引っ張ってきたりして、
史実がどうであったかは特に追求するスタンスじゃないみたいですね(笑)
小説家さんだから、小説ネタの資料集めっぽい感じですかね。
内容紹介文にもあるように、正史に名を残すのは源平合戦の辺りの二年だけ。
鞍馬いったとことか、平泉にいったとことか、詳細は不明。
だから、この本のように、義経の周囲の人々を描くことで、
義経について検証していくということになるのでしょうね。
以前読んだ領家高子さんの創作ものの、「九郎判官」(義経のこと)も本人は全く出ずに、
周りについて語るという体裁をとっていました。
変わった構成だなと思ったけど、義経を語ろうとすると、そうなってしまうのもわかる気がしました。
義経は、悲劇のヒーローとして大衆から長く愛されました。
そうして本来の義経からどんどん離れていったであろう創作がたくさん作られました。
そんな中で一番興味深かったのは、「義経地獄破」!!
地獄を楽土にしようと地獄征伐の軍を起こすんだそうです。
無官大夫敦盛、相馬将門、織田信長、
更には、田村将軍、頼光と四天王、弁慶、悪七兵衛景清、熊坂長範など、敵味方なく集結するようです。
もうこのごちゃまぜ感がすごい!!
こんなすごい面々の中から総大将に推されたのが、義経というわけです。
それくらい民衆たちのヒーロー的存在であったということなんですね。
もう誰かこれを現代版に書き直してください!!と心の底から思いました。
この本では大佛さんが、史料を引用して真面目に語る部分もあれば、
憶測推測を思いつくままに語る部分もあったりで、そのあまりに自由な語り口に笑ってしまうこともしばしば。
(作中引用)
「死んだのは義経三十一の時である。今日なら大学を出て会社に就職して七、八年目、やっと結婚してアパートの中に家庭を持ったところである。」
いや、違います。そんな現代感覚で語るのは間違ってます(笑)何て自由すぎるんだ大佛さんっ!
そんな、史実とかけ離れた本を紹介したり、自由に語ったりしてるこの本ですが、
その中で「これは!」という記録もありました。
藤原清衡、基衡、秀衡のミイラ化した遺体と泰衡の首級が納められているんですよ。
それを最近知ってすごいなーっと思ってたんですが、
なんと大佛さん、昭和二十五年に行われた学術調査に参加して、秀衡さんのご遺体を見たというのです!
そこでの様子が詳細に描かれていて、とても興味深かったです。
本当に平泉は楽土を目指していたのだろうな。
でも、確かに平泉の文化は都に負けないほど素晴らしかっただろうと思うので、田舎扱いは癪に障るでしょうね。
と、気づけば長くなったなぁ。ますます誰が読むのやら…(^_^;)
でも源平本探しはまだまだ続きます…。