駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『SOSの猿』 伊坂幸太郎

伊坂さんは、伝えたいメッセージをそれとなく作品に滲ませてるイメージがあります。
作品がメッセージ色濃くならないように、さりげなく。
 
私は、伊坂さんの本は、大筋より細部を楽しむのが好きです。
『重力ピエロ』のように細かく章立てされた小話を楽しむように、
誰かの一言、何気なく書かれる一文に大きく同意したり、感嘆したりします。
今回もそういう伊坂節満載で楽しめました。
(『あるキング』ではそれがないのが寂しかったです…)
ただこの本は、大筋が分かりにくかったですね。
途中までは面白く読んでたんですが、
最後の「五十嵐真の話」の章では混沌としてしまった感があります。
一応私なりに、この作品を解釈してみます…。
 
伊坂さんとは、世間に対する不満が似てるのかもしれません。
ワイドショーの向こう側が気になる私は、
 
 野蛮な事件が起きると、マスコミは躍起になって原因を探そうとする。
 (中略)
 火事場に来た野次馬たちが、「好奇心で来ました」と自覚せず、
 「こうやって眺めていることに社会的意義があるのです」と正当化するような
  みっともなさを伴っている。
 
との記述に大いに同意。
軽々しく正義を振るって、罪を犯した人を大勢で罵るのはどうかと思います。
この中に出てくる、「人間は善悪が混ざっている」というバロンダンス的な考え方は、
私もよく思っていることでした。
この世で起こる事件は、決して自分と無関係ではないかもしれないという怖れを、
持つべきだと思うんですよね。
無関係だと思うから、平気で「悪事」を叩けちゃうんです。
 
「自分がよければそれでいい」という風潮をこの作品で批判したかったのかな、と思いました。
この作品の中で、様々な因果関係が描かれますが、それこそ「風吹けば桶屋がもうかる」的な、
何がどう作用するかわからない中にあって、自分だけ無関係でいられるはずがありません。
西遊記』が「いろんな人が持っている、普遍的な物語を収集したもの」であると書かれています。
我々は、どこかで誰かや何かと全て地続きで繋がっていて、一人一人が違った物語を生きているけど、
それが何か大きな一つの話を形成することもありうるわけです。
一人一人が意識を持って行動すれば、同じ意識と人たちと何か大きなことが成し遂げられる、
ともいえるのではないかな、漠然とした言い方ですが。
 
あと、二匹の猿の話が出てきます。
孫悟空(正確には身外身)のエネルギーは、一つは大きな猿となり、もう一つは小さく分散されます。
ぴったりの表現を見つけられないんですけど、この猿は、
例えば「SOSに応える力」の象徴だったのかなーと思いました。
最後の五十嵐さんが語るシーンでは、きっと他の人たちにも猿は見えていたはずです。
きっと猿は誰にでも憑依しているんです。
そして、何か一つ器にこの力が集まれば、
作中にあるヨーロッパで起きた異常気象や原因不明の電波障害級の力となりうるのかなーなんて。
 
大衆と一個人、これは伊坂さんの普遍的なテーマなのかな、と思ったりします。
 
それなりに面白かったこの作品ですが、
新聞連載でやったって…それはちょっとどうかな、と思いましたよ…。
一冊で読んでも分かりにくい話なのに、新聞連載じゃますます難解だったかと…。
 
星は三つです。
伊坂さんの話は好きなので、次回はもう少し分かりやすい話にしてほしいな~。