駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『聖夜』 佐藤多佳子

「第二音楽室」に続くschool and musicシリーズ第二弾です。
これ読んで、「うわー、佐藤さんすげー」って思いました。
前作は女の子が主役だったので、同性の私は非常に身に覚えのある表現の連発で、
ちくちくと突かれながらイタ懐かしい思いで読んだのですが、
今作は男の子と言うことで、全く別物になってるんです。
主人公になりながら読んだ前作から、完全に傍観者になった今作。非常に対照的なこの2作品。
この書き分け、佐藤さんタダモノじゃない!!と思いました。
男性読者がこれをリアルに自分と重ね合わせられるかどうかは分からないんですが、
この年頃の男の子ってきっとこんな感じだろうな、と納得しながら読みました。
 
<内容紹介>(出版社公式サイトから)
幼い自分を捨てた美しい母。聖職者の矩を外さない父──。ものごころつく前から、教会のあるがんに親しんだ鳴海一哉は、幼い頃に離婚してドイツに渡ったオルガニストの母への複雑な思いと、常に正しい父親への反発で屈折した日々を送っていた。聖書に噛みつき、ロックにこころ奪われ、難解なメシアンのオルガン曲と格闘しながら、18歳の夏が過ぎ、そして聖夜のコンサートリハーサル──。
 
友達との立ち位置を気にして、安定を求めようとする前作の女の子たちと比べると、
とにかく枠にはめられたくない、はみだしたい、壊したい、と平凡を超えたところに憧れを求める鳴海くん。
その不安定さは、読みながらすごく理解できました。
佐藤さんの文章がとても肌に合うというか、ぽーんと胸に入ってくるんですよね。
そう言われると、そうかもしれないと思えてくるんです。
私は、鳴海君とタイプが全然違うんですが、(私は無難思考なので)
彼が言ってることに共感してる自分がいてちょっと驚きでした。
 
私はキリスト教信者ではないですが、子どもがプロテスタントの幼稚園だったので、
牧師さんや賛美歌にはなじみ深いんですね。聖書の教えを、かじる程度ですが学んだりもしましたし。
ですので、この舞台背景はとても入り込みやすかったです。
教会は「赦し」の場ですから、私は行くたびにいつも癒されてたんですが、
鳴海君のように、四六時中そういう場に囲まれてると、窮屈に感じてしまうんですね。
(確かに教会には癒しと同時に、身の引き締まる厳かさもありますからね)
いつも正しい、牧師である父を中心に、反発する息子、気の毒がる祖母、逃げた母、
そしてそれらに苦悩する父親本人。そこの描写は本当に痛々しくて辛かったです。
誰も不幸を望んでいるわけはないのに。
人間関係の不幸って、きっとたくさんのすれ違いから生まれるものなんですね。
 
メシアンの曲を動画で聴きました。
「なるほどこれは鳴海君だ」と思いました。
混沌としてて、不安定で、そして爆発的で、破壊的。そしてそれらが収束されて高みへ昇ろうとするラスト。
男の子の中身って、きっとこんな得体の知れない感じなのかもしれない、と思いました。
 
でもそんな混沌の中でも、鳴海君の音楽への思いだけはすごく純粋で素直に表現されてるんですね。
迷いながらも非常に真摯で誠実で。
だから、青木さんより天野さんの方が鳴海君にストレートに届いちゃうんでしょうね。
言葉や態度で作る気持ちより、奏でる音楽の方しか鳴海くん見てないですもん。
 
この本の中では、いまいち掴めなかった天野さん。
でも天野さんサイドで描かれたら、「第二音楽室」のような女の子の部分を見せてくれたのかなぁと思うと
興味深かったです。男の子から見たら、こんなに印象が違うんだよ、と言われているようで。
ぜひ天野さんサイドも見てみたいなぁ。
 
おまけ:鳴海君の演奏した「神はわれらのうちに」の動画です。
     この本を読んだ方、これから読まれる方は是非ご覧ください(^^)
 
 
星は三つ。(かなり四つ寄りなんだけど…(^_^;))
鳴海君の膨大なモノローグがあってこその作品なんですが、最後のパイプオルガンや、教会の雰囲気など、
視覚や聴覚からも堪能したいので、映像化したのも見てみたいな、と思いました。