駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『凍りのくじら』 辻村深月

ううー、泣けました…。
最初は、主人公の理帆子の上から目線の物言いに「若いなー(^_^;)」と、痛さを感じたりしたのですが、
最後まで読むと、作品に抱いたマイナス感情が全て溶解して、目から零れそうでした…。
これは二度読まねばなりませんね。
最後まで読んで、そしてもう一度読むと、色々バラバラとしていた物語が全て繋がっていくのが分かりますね。
そして一見さり気なく書かれてる描写が、すごく大きな意味を持ってることに気づくのです。
といいながら、ちゃんと二度読んだわけではないのですが…(^_^;)
図書館本なので時間がなくて、二度目は流し読みしかしてません。でもちゃんと二回読みたい本です~。
二度目こそ、この本がきちんと味わえる気がするので。
 
<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
藤子・F・不二雄をこよなく愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を少しずつ癒していくが、昔の恋人の存在によって事態は思わぬ方向へ進んでしまう…。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語。
 
星は四つです。良く練られたお話だなーと読み返してしみじみと思いました。
特に中高生に読んでもらいたい作品だなー。もちろん大人が読んでも十分楽しめますよ。
 

(以下、最後までネタばれ全開の感想です~。未読の方、すみません><)
 
 
 
読み終えて、読み直してみて、これは家族の物語なんだなーと強く思いました。
 
理帆子は母親と似てるのでしょうね。
別所さんも理帆子が好きな人と似てるって言ってて、
理帆子のことを「強い理念と薄い感情の動きで人と付き合う」と評価しています。
それって母親にも通じますよね。
「ムードもりあげ楽団」の章でドラえもんの台詞を引用して、
「人間はね、感情の動物と言われてるんだ。うれしい時はとびあがって喜び、悲しければワァワァ泣く。
もっと気もちをいきいきとあらわせよ」と書かれています。
それは理帆子や母親に向けての言葉なのだろうなー。(あと郁也君もね)
不器用で感情を露わにしない二人。おかげでコミュニケーションがぎくしゃくしてしまう。
 
口のきけない郁也の反応を見て、理帆子は、いろんな解釈ができると気付きます。
「郁也の反応はその時々のこちらの気持ちを反射する鏡のようだ。好きなように解釈出来てしまう。」
それは、きっと郁也に対してだけでなく、他の人にもしてしまってることなんですよね。
彼女が「少し○○」と他人にレッテルを張る。それは実は理帆子自身を反映してるんじゃないのかな。
彼女自身が少し不足で、少し不幸で、少し腐敗で…。
それは自分自身の嫌な部分だったり、理想だったりして、彼女の中から生まれてくるものだったのだと思う。
 
だから彼女の目を通して見える母親はあんなそっけない感じで、
最後の写真集の場面がすごく唐突に感じられます。
自分の母親への愛情を認識しきれないけれど、彼女は確かに毎日病室を見上げていたのです。
意識と行動の不一致。
頭が良くて、全て理解してる気がしてる理帆子だけれど、自分のそんなところにも気付けなかった。
本当はすごくすごく求めてたはずなのに。
最後の母からのメッセージの場面は泣けました…。通じ合えてよかった、間に合ってよかった、と思えました。
 
そして若尾の存在。
理帆子が見る若尾は、理帆子の先の存在だったと思います。
堕ちていくのを傍観者として観察したかったんじゃない。自分の未来を見るために、目が離せなかったのです。
若尾自身が言います。理帆子と俺は同じだと。
理帆子はなかなか認められなかったけど、実際はそうだったんじゃないかな。
 
理帆子は言います。
「私の欲しい、ドラえもんの道具。『入りこみ鏡』『逆世界入りこみオイル』『おざしきつりぼり』。
鏡の向こうの、誰もいない世界。時折鏡越しに、外の様子を窺うだけ。」
他人に「少し○○」と名付けて、自分を「少し・不在」と言う。
他人の個性を決めて、キャラクター化して自分の意識の支配下に置く。
それはもうまともなコミュニケーションを断ったも同じ。
彼女はそのほしい道具をもう自分の中に持っていて、常に鏡の外から世界を見ていた。
傷つかないように、自分の身をそこに置かない。誰も信じなくて、誰も頼らない。
その姿は、リホ以外、誰とも繋がろうとしなかった若尾に通じるものがあると思います。
 
だから別所さんが現れたのかな。
未来からのび太くんを助けに来たドラえもんのように。
直接、理帆子を助けるわけじゃない。
理帆子を信頼して全面肯定して、言葉という道具でもって、
理帆子が自分で新しい道を歩けるように、寄り添ってくれた。
ライトの場面は本当に印象的でした。
物語のキーワードである光にすごくリンクしてて、読み返したとき、更にその光を痛烈に感じるのでした。
 
そしてそんな彼も完全じゃなく。
「必ずまた帰ってくるから、待っていなさい」と父親に取り残された彼のトラウマは、
理帆子と郁也をも縛ってしまっていた。
「理帆、僕のことは待ってなくていいから」
「君はこれから先、何も望んではいけないし、期待してはいけない」と。
人を信じることの強さを、大切さを、彼らに再び取り戻してもらうために別所さんは現れたのですね。
 
別所さんとの場面は、ドラえもんの他愛のない話も多く、寄り道しているようにも思えたんですけど、
読み返してみると、それはまさにその場面にふさわしい話題で、「おおー」と驚かされました。
ほんと良く作られてます。全てが分かってから、別所さんの反応を読み返すのも面白かったです(^^)
 
エピローグで「すごく・フォルテ」に生き生きとした理帆子と、感情豊かな郁也の姿を見て、
本当に心救われた気持ちになりました。
 
だからこれは家族の物語なんですよね。「すごく・ファミリー」なお話でした…なんてね(^^ゞ
 
余談。
エピローグの理帆子と郁也の姿を見て、昔「130センチのダンディ」が好きだったり、「ぼく地球」のラストにちょっと萌えた私としては、これを学生時代に読んだら、ものすごくハマっただろうなーと思ったりしたのでした(^_^;)