駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『カマラとアマラの丘』 初野晴

「命は平等」なんて言うけれど、本当にそう思える人はどれくらいいるだろう。
同じ人間でも差を感じ、動物ならなおさらじゃないだろうか。
ましてや虫や植物に至ってまで、平等だなんて言える人は、そういないだろう。
朝日新聞で連載されている「プロメテウスの罠」では、このごろは原発後、
不遇な扱いを受けているペットや家畜たちについて書かれていた。
「避難所にペットは連れ込まないでください」。
その言葉に、正しいとか、間違ってるとか簡単に言えない。
だけど、動物の命が人間より下に置かれているというのは事実。
それを当然だと思う人、ペットは家族だと憤慨する人、反応は様々だと思う。
 
<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
いずれ迎える別離。それでも一緒にいたかった。廃墟となった遊園地、ここは秘密の動物霊園。奇妙な
名前の丘にいわくつきのペットが眠る。弔いのためには、依頼者は墓守の青年と交渉し、一番大切なも
のを差し出さなければならない。ゴールデンレトリーバー、天才インコ、そして…。彼らの“物語”か
ら、青年が解き明かす真実とは。人と動物のあらゆる絆を描いた、連作ミステリー。
 
とても初野さんらしい作品です。
静謐な夜のような、静かな緊張感とどこか温かみが同居した空気を持つお話。
廃墟になった遊園地、墓守、花、マイノリティ、臓器…と初野さんらしい題材が並びます。
幻想的で寓話めいた空気をまとって静かな語り口でいながら、
読み進めてみるとかなり強烈な問題提議を突き付けてくるんですよね。
でもその不思議な舞台設定のせいか、かなり辛辣な問題提議なのだけど、しんみりと伝わってくるんです。
ミステリとしても独特なオチが待っていて、どの話も意外な結末で結ばれます。
(表題作はタイトルでなんとなく想像ついちゃったけど)
このマイノリティ問題とミステリの融合は、いかにも初野作品です。
 
墓守の青年は、感情をできるだけ排して、事実だけを淡々と見つめます。
人間の言いわけに添うわけでもなく、むやみに動物に同情するわけでもなく。
そして、読み手に判断を委ねてくるのです。
それって間違ってるの?どうすればよかったの?
その心の葛藤こそが、この作品の願いなのだろうと思うんです。
世の中で行われてる命の不平等に、どうか素通りしないで。
立ち止まって考えてみて、と。
 
ここに描かれているのは、ただ純粋な想い。
周りから見たら「犯罪」や「悪事」に見えても、本人たちは悪いなんて自覚は感じず、
ただ自分の想いに素直に従っているだけ。
結局、悪い正しいは、それを見る人々の主観でしかないのだから、
仮に彼らの行為は裁けたとしても、彼ら自身を裁くことはできないのです。
 
そして青年は審判します。連れてこられる者たちがここに埋められるのにふさわしいのか、どうか。
墓守である彼は、ただ不運な動物たちを埋葬するのではなく、訳ありペットの主人たちを呼び込むのです。
動物と人とのつながりをきちんと確認するために、残された彼らに「物語」を語らせて。
 
読みながら、本当に色んな事を考えさせられました。個人的に色々タイムリーだったんですよ。
ちょうど「世界の終わり」というアーティストのライブ番組を見たところでもあったし。
(この作品に通じることを歌ってるバンドだと思います)
先にあげた新聞連載で考えさせられてるところだったし。
犬猫の類を飼ったことがないので、私は動物に対して薄情な方だと思うんですが(汗)、
それでも動物との関わりの問題を、関係ないと見過ごしてはいけないなと思いました。
 
もともと初野さんびいきですが、その中でもかなり好きな作品でした。
是非この設定でもうちょっと書いていただきたいです。