駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『わたしをみつけて』 中脇初枝

「きみはいい子」でチェックしていた中脇さん。今回もよかったです。
 
「きみはいい子」では巧みに避けていたところに、今回はまともに突っ込んできたな、という印象。
虐待などについて前作より向き合って描かれています。
でも前回「避けた」のは、表現の逃げではなくて、そこに触れずとも、
きちんと問題と向き合った上での答えが描かれていたんですね。
そこがすごいなと思っていたので、今回のは前作に比べると私の中で評価が下がっちゃったかな。
でも、前回の短編が密度が濃かった分、
今回は一本の長編で、一つの話にゆったりじっくり付き合えて、読みやすくなってる気がしました。
前作『きみはいい子』ほどの強い印象は残さなかったけど、やはり中脇さんは好きだなーと思えました。
 
辛い描写も多いけど、作中に出てくる、優しい言葉で泣けました。
緩めてくれる言葉は、溜め込んでる何かを解き放ってくれるのかもしれません。

<内容紹介>
いい子じゃないと、いけませんか。
施設で育ち、今は准看護師として働く弥生は、問題がある医師にも異議は唱えない。
なぜならやっと得た居場所を失いたくないから――
『きみはいい子』(第28回坪田譲治文学賞、第1回静岡書店大賞、2013年本屋大賞4位)で
光をあてた家族の問題に加え、医療現場の問題にも鋭く切り込む書き下ろし長編。
中脇初枝が再び放つ感動作!
 
藤堂師長の笑顔の仮面と、弥生のいい子の演技は、似て非なるもの。
師長は大切な出会いを経て、その志を胸に、覚悟をもって笑顔を張り付けるけど、
弥生は「いい子」として振る舞うためによくわからない笑顔っぽいものを張り付けています。
弥生の受け答えは、他人が見たらきちんと「いい人」と言われる受け答えをしているのに、
心ではその「いい人」の行動をなかなか理解できません。
大事にされた経験がないと、誰を大事に想ったりできない。
そして大事に思えない自分を、ダメな人だと責めてしまう、
そんな悪循環を断ち切ってくれたのは、新たな出会いでした。
 
本当に優しい人は、強い人。これを読んでしみじみと思いました。
藤堂師長も菊池さんも違うタイプの人ですけど、それぞれに強くて優しい人でした。
彼らは、誰かから大切なものを与えてもらい、それを周りに分け与えるという使命を胸にもっていて、
それはきちんと周りに伝播していっていました。
弥生にもそれはちゃんと伝わり、弥生は神田さんに「分け与える」ことができました。
自分の中で自家中毒みたいに、自分で自分をダメにしていってしまう連鎖は、
他人のおせっかいという優しさでもって断ち切られるのだな。
 
ここに出てくるひどい医師のように、自分の事ばかりで、
なかなか周りに目がいかない人たちが多いですもんね。
人は、自分の損得に過敏になりがちだものなぁ。
そういう意味では弥生も自己中の医師も、自分の事しか見てないというとこで共通しているんですよね。
自分の事だけを考えるというのは、実はすごく窮屈なことなんですね。
他人のために何かするというのは、まわりまわって自分に還ってくるものなのだけど、
そんなの待ってられなくて、もっとわかりやすい結果を先に求めちゃうんでしょうね。
日々が目まぐるしく変わっていく、忙しい世の中だからかな。
 
前作では、ダメだと思い込んでる人たちに
「大丈夫、誰だっていい子だよ」と言ってあげるようなお話たちだったのに、
今回の「いい子」は、囚われてしまう呪いのような「いい子」。
「いい子であらねばならない」は、自分を殺すことになってしまうんですね。
同じ言葉でも全然違うわけです。
だけど伝えるメッセージは同じようにあたたかったです。
自分を大切に、誰かもそれと同じように大切に。
みんな、だれかの大切な人だから。
 
前作と同じ町が舞台で、少しリンクがあるようです。
「きみはいい子」の先生は、ちゃんと虐待を通報できたんだなぁとうれしく思いました。
他にもリンクあったのかなぁ??
 
中脇さんのお話は、辛い題材で描かれるのに、本当にしみ込むように優しくて、
温かさに涙してしまいそうになります。
辛さときちんと向き合ってる分、描かれるやさしさが深くなるんでしょうね。
他の作品ももっと読んでみたいと思いました。