駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『HHhH(プラハ、1942年)』 ローラン・ビネ

このスタイルは素晴らしい。実に好ましい。
勝手に名づけるなら、ダブルノンフィクションって感じですかね。
史実を追い、作品を作る過程を描きながらの、歴史ものなのです。
って説明でわかりますかね?
どこどこの博物館でこんな史料があったなど自分視点でドキュメントタッチに描きながら、
その史料をもとにナチスドイツの主要人物であるハイドリヒ暗殺事件について描いていくのです。
描く際に、かなり律義に、ここの詳細は史料がないので確かめられないとか、
多分こうだと思うが、確かなことは言えないとか、自身のコメントが入るんですね。
歴史小説の制作過程を、彼のつぶやきと共に見るようでとても興味深かったです。
でもこれがドキュメンタリーやノンフィクションではなく、ちゃんと小説になってるんですよね。
そこがこの作品の、類を見ない点と言えるんでしょうね。
この不思議なタイトルは、
「Himmlers Hirn hei't Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)」の略だそうです。
 
<内容紹介>
ノーベル賞受賞作家マリオ・バルガス・リョサを驚嘆せしめたゴンクール賞最優秀新人賞受賞作。金髪の野獣と呼ばれたナチのユダヤ人大量虐殺の責任者ハイドリヒと彼の暗殺者である二人の青年をノンフィクション的手法で描き読者を慄然させる傑作。

作者の彼ほどどっぷりではないけど、同じ歴史好きとして、彼の言い分がものすごくよくわかるんですよ。
史実至上主義とでも言いましょうか。
例えば、私は歴史小説を読みながら、作者の創作が紛れてるのは承知なんだけど、
どこまでが史実でどこまでが創作なのか読みながらすごく気になるんですよね。
できることなら、注釈をつけてその部分の参考文献をいちいち載せてくれないだろうか、
とか思ってしまうんです。
史実自体も、完全な真実ではないし、曲げられて伝えられたこと、隠された事実などあるわけで、
そういうところに創作の余地があり、それを楽しむのが歴史小説なんだと思っています。
でも自分の中で線引きしたい、史実をおさえつつ創作を創作として楽しみたい、
史実と創作がごっちゃになってわからなくなってしまうのは不本意だ、という思いがあるんですよね。
かといって、自分で全ての文献を網羅するのは当然無理で、そこにもどかしさを覚えてしまうわけです。
その要望にきちんと応えてくれたのが本書。
本当にその時代や人物に興味があるものにとっては、ドラマティックなストーリー展開より、
何気ない事実の方が何倍も感動するわけなんですよ。
史料館などに行って、例えば書き散らした落書きですら、本人が書いたというだけで興奮してしまいますもん。
 
ただし問題は、私にとってこの時代が、ほとんど無知であったということです…(-_-)
この時代を知りたいと思い手に取りましたが、入門編には向きません…><
この作品の制作過程とハイドリヒの生い立ちやナチスドイツ当時の状況説明が描かれる1部が
300ページほどで、ハイドリヒ暗殺事件を描く2部が残り100ページ程度という構成になっています。
最初の、作者のスタイルを語る100ページはすごく共感して読んだのですが、
問題がこの次の、ナチスドイツ時代の欧州を描く100ページで、
当時の国際情勢の関係把握が、知識0の状態から読むと非常に難しかったです。
ここでつまずいて、読むのにすごく時間がかかってしまいました…(T_T)
やがてハイドリヒ中心に描く残り100ページはまた読みやすくなってきて
(ただしナチスということで内容はかなりどぎつくなってくるんですが…)、
リアルタイムで見るように暗殺事件を描く2部はがっつりはまり込んで読めました。
 
ナチスドイツのやったことというのは、フィクションばりに常軌を逸しています。
ですのでこれを題材に彼の手法で、ひたむきに神経質なまでに事実のみを律義に描くというのは、
普通の小説で受ける衝撃よりも深くえぐられる気がします。
だって書かれていることはすべて事実なわけですから。
これでもかと残虐さを煽ったり、何か一部だけ効果的に抜き出すというのではなく、
事実全てを並べようとするこの作品でこそ、ナチスの非道さがより際立つような気がしました。
 
この時代に興味のある方は是非ご一読を。
この手法で誰か源平を書いてくれませんでしょうかね(笑)
 
余談ですが、ハイドリヒって「ラインハルト・ハイドリヒ」っていうんですね。
それで「金髪の野獣」などの異名があって、彼を暗殺したのがヤン・クビシュだなんて、
英伝の名前はここからとったのかしら、なんて思いました。