駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子

小川さんの作品を読むのはこれで3冊目で、お付き合いはまだ浅いのですが、
それでも読んだだけで「ああ、これは小川さんだ」と感じました。
小川さんは、文章から世界が広がる、独特の雰囲気を持っています。
静かで、でも確かな軌跡。この話では、チェスと出会った少年の人生が描かれています。

<内容紹介>
「盤上の詩人」と呼ばれる伝説的チェスプレイヤーであるアリョーヒンになぞらえて、リトル・アリョーヒンと呼ばれた少年の物語。
 
この本では、詳細が一切不明のまま物語が綴られています。
誰も名前はなく、いつの時代だか、どこの国の話だか分りません。
だけど細やかな描写が、彼らが身近な人物に感じられるほどに、丁寧に浮かび上がらせます。
物語は静かで美しい世界なのに、マスターの描写、少年の唇など、
ギラリと鈍く光るナイフのようなものを密かに忍ばせていて、
読んでいて、その違和感にドキッとさせられます。
ファンタジーの世界の影に現実が潜んでいるような違和感。
だけどそれすらも呑みこむような静謐な空気があるんですね。
なんとも表現しづらいですが、小川さん独特の世界だなーと感じます。

それは物語を語る視点のせいかもしれません。
三人称で語られる物語は、誰かに感情移入することはありません。
登場人物は、大きいも小さいも老いも若きも関係なく、
そのものが四肢を伸ばして自由に海の中に漂うかのように、あるがままに描かれます。
いろんな傷や闇を抱えていても、語り手によってそれらを突き止められることはないのです。
 
一つ一つ緻密にリンクしていくのに出会うたびに、はっとさせられました。それは小さな感動でした。
小さなリンクたちは何かの運命のようであり、非常に自然なことのようにも見えました。
象のインディラがマスターに繋がり、婦長に繋がり、
そしてそれは主人公の体が大きくならないことにも関わってゆき、
ボックス・ベッドに導かれ、盤の下へ潜り込むのにも繋がってゆく。
チェス盤の出来事が、彼の人生そのものに繋がって、また逆に彼の人生がチェスに反映されていくのです。

リンクしていく様々な描写は、推理小説のような驚きを狙う仕込まれた伏線とは違って、
世の中の事象は無意識、無作為の内に繋がり合い、美しい蜘蛛の巣を描いているのだと思わされるような
当然の道理のように描かれています。
それはあたかも世界をチェス盤にして、神がチェスを打つかのように。
読みながら、最初に放たれた駒はここに辿りつくのね、
と美しい棋譜を描くチェスのゲームを体感しているかのようでした。
(私、チェスどころか将棋も全然分からないんですけどね(^_^;))
 
この作品は、機織り職人さんが一本一本、縦糸と横糸を丁寧に織り上げていく様に似ており、
手間暇かけて織られた生地は、華麗な模様が描かれるわけではなく、単調な色合いで、
だけどその素朴な柄に味わい深さを滲ませているようでした。
小川さんの丁寧に織られた物語にただただ感嘆するのみでした。
 
チェスの海に潜るという表現は、9×9の海に潜る将棋マンガ、「ハチワンダイバー」にも通じますね。
将棋もチェスも、限られた空間の中に、無限の広がりがあるってことなんでしょうね。
 
息をひそめて読んでしまうような、小川さんの静かな文章はやっぱり心地いいです。
星は四つです。