駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『こちらあみ子』 今村夏子

こういう文学系の本ってあまり読まないのだけど、たまたま新聞で見かけて気になったので、読んでみました。
今年の私の読書テーマが、「ジャンルを広げる」ですしね。
(実はそうだったんですよー。あまり実行できてないけど…笑)
 
<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
少女の目に映る世界を鮮やかに描いた第26回太宰治賞受賞作。書き下ろし作品『ピクニック』を収録。

文章は読みやすかったです。だけど、その内容はやすやすと読み進められません…。
主人公・あみ子ははっきりとは書かれてないけど、脳に障害があるのでしょうね。
普通の人とは違う感覚で生きてます。あみ子視点で描かれるから、
一見妙に思える行動もあみ子なりには筋が通ってるので、それなりに納得できる。
だけど、その行為を異常と思う周りの反応も理解できてしまうんですね。
そしてその両者の間に埋められない大きな溝が存在することをはっきりと認識してしまうのです。

あみ子に熱愛されるのり君は不憫でならないし、
精神的に病んでしまうお母さんも健気で決して悪い人ではなかった。
読みながら、あみ子を理解しつつも、壊れていく周りとの関係も仕方ないと思ってしまう。
誰も憎からず思っているはずなのに、どうしてここまで徹底的に壊されてしまうのだろう。
このズレはどうしたら修復できるのだろう。
 
このどうしようない状態に、「イタイ…色々痛い…」と胸をきりきり痛めながら読み進めましたが、
本の雰囲気自体は全く暗くありません。
あみ子が周りから馬鹿にされても、好きな子から歯を折られても、家族が崩壊しても、全くジメジメしていない。
あみ子は多感なくせに、哀しいくらい鈍くて、いつでも自在です。だから物語はあくまで軽やかなのです。
さばさばした感じの広島弁も、読みやすさに貢献してるのでしょうね。
 
全く世界が違う、あみ子と周りの人間をつなぐためには、作中に出てくるトランシーバーのように、
両方が電源を入れて、相手を受け入れる状態になくてはならないのだ、と気づきました。
片方だけ「応答願います」と言っても、向こうがオフにしていれば届かないのだから。
でもあみ子と会話できる人はなかなかいなくて、そしてあみ子も会話したい人がほとんどいない。
両者の間でちぐはぐに会話は飛び交い、ほとんど交信できない状態が描かれています。
それを読みながら、別に障害がなくたって、コミュニケーションはこんな風に難解なのだと思いました。
相手が発信して、それをきちんと受け止める。
そうすることでコミュニケーションは成り立つのに、言いっぱなしの言葉が多すぎて、
相手の言葉も思い込みなしではなかなか聞けてない自分と、重なって見えるのでした。
 
だけど、物語は絶望的ではありません。トランシーバーが少しだけ通じる場面も描かれてます。
お兄ちゃんと、坊主の彼です。
お兄ちゃんのことを思うとなんか泣いてしまいそうになります。
不良になったのが自棄ではなくて、意図したところだったらどうしよう。だったら愛が深すぎる…(涙)
坊主の彼はあみ子を知ろうとして、あみ子も彼に少し興味を持ちます。
僅かですが繋がりかけた瞬間がありました。
少し哀しい場面だったけど、それはあみ子と外部をつなぐ希望にも見えました。
 
読み終えて、回想前の冒頭部分を読みかえすと、
やがて両想いのお友達も出来るのだな、とちょっとほっとします。
相変わらずスムーズなやり取りではないし、両想いの期間は短いかもしれないけど、
あみ子も少しずつ経験を積んで、誰かとの距離を埋めていくことができるでしょう。
それは気長な道だけれど。
 
『ピクニック』は何気に怖いです…。作者すごいな、と思ったけど、ちょっと好きな話ではなかったかな。
 
星は三つです。文学系を楽しむには、まだ経験値が足りないなー(^^ゞ