駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『晴天の迷いクジラ』 窪美澄

もういい加減この前置きをするのは恥ずかしいのだけど、またしても返却後にこれ書いてます。
気になる部分を読み返す暇もありませんでした…(T_T)
とっても素敵な作品だったので、じっくり読み返して感想を書きたかったのに~><
 
というわけで、あやふやな記憶のままに感想を綴らせていただきます~。
 
<内容紹介>(出版社HPより)
やっと気づいた。ただ「死ぬなよ」って、それだけ言えばよかったんだ――。心療内科の薬が手放せない青年、倒産しそうなデザイン会社の孤独な女社長、親の過干渉に苦しむ引きこもり少女。壊れかけた三人が転がるように行き着いた海辺の村で、彼らがようやく見つけたものは? 人生の転機にきっと何度も読み返したくなる、感涙の物語。

晴天の迷いクジラなわけです、この死にたがってる三人は。
嵐にもまれて迷い込んだわけではない。極端な不幸に見舞われたわけでなく、
それなりに真面目に送ってきたはずの日々の末、気づけばどうにもならない窮地に迷い込んでいたのです。
不幸だと気づかないくらいの愛情のほんの齟齬が、主人公たちをやがて八方ふさがりの窮地に追い込む様は、
読んでてたまらなかったです。
主人公たちにも、その周囲の人間にも、責められるべき非があまり見えないのです。
(全く悪くないわけではないんですけどね。でも決定的ではないんですよね)
なのに、事態は「死ぬ」とこまで追い込まれている。これはもう恐怖です。
特に私は親目線で読んでしまって、正子の母の話などはかなり極端に描かれつつも、
「ありえない」と一蹴できないところがあり、同じ立場になったら、
似たようなことやってしまうかもと思ったりもしました。
 
例えば戦時中など、死がものすごく身近であるときには生を強烈に感じるのでしょう。
それはオセロの白と黒がひっくり返るくらいのあっという間の境目で、死が人々に訪れるのです。
でも今は、生きてる意味を考える余裕がある現代では、生の中に死は侵入してきて、
晴れてるような中でも知らないうちにひたひたと侵食していて、
生への執着も死への恐怖もあやふやになってしまっているのです。
 
「死にたい」なんて感情、私にとっては別世界の出来事のようなのに、
この本を読んでると私の行く先にも当たり前に存在しえるんだと思い知らされるんです。
だからって、この本が絶望を語る本かと言えばそうじゃない。
常に仄かな光に支えられている。
それは「希望」と言うほど確かなものじゃない。
彼らに奇跡が起きるわけじゃない。
物語は常に現実的で、都合よく転がったりはしない。
だけど、常に見守られてる温かさがあるんです。
 
窪さんの作品は、非情なほどに現実的で、甘くない。
だけど厳しくはないんです。
どんな状況でも包み込んでくれる寛容さがあるんです。
その絶妙なさじ加減がすごく心地いいんですよね。
 
星は四つ。
一作目でもガツンとやられちゃったんですが、窪さん、やっぱりいいです。
これから追いかけていくこと決定です(^^)