駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『アニバーサリー』 窪美澄

暑さで本が全然読めません…(>_<)去年もそうだったけど、夏の読書って私、ホントダメだな~。
分厚い二段組みの本が延長してもなかなか読み終わらず、
それ以外の本が全く手つかずのまま返却日を迎える羽目に…。
慌てて、この本だけでも読んでおかねば!と一気読み。
さすが窪さん、読みやすく、あっという間に読み終えられました(^^ゞ

<内容紹介>(出版社HP)
子どもは育つ。こんな、終わりかけた世界でも。七十代にして現役、マタニティスイミング教師の晶子。家族愛から遠ざかって育ち、望まぬ子を宿したカメラマンの真菜。全く違う人生が震災の夜に交差したなら、それは二人の記念日になる。食べる、働く、育てる、生きぬく――戦前から現代まで、女性たちの生きかたを丹念に追うことで、大切なものを教えてくれる感動長編。

読みながら、誰の本読んでるんだっけと表紙を見返すことしばしば。
そのくらい窪さんらしさがないように感じました。
三章からなるこの本で、一章は、戦時中の話だったりしたから余計にそう思ったのかもしれないけど、
現代が舞台の二章でも同じように感じられて、淡々と読み進めていくと、
三章でようやく「おおー、やっぱ窪さんだ」と思えました。
最後までちゃんと読んでよかったです(^^ゞ(危うく読みそびれるところだったもので…)
一章と二章は、登場人物の過去話がメインで、あったことだけをとても淡々と描かれているので、
物語にがっつり入り込む感じじゃなかったです。
でもその二人が絡み合う三章は、よかった。
時代も何も違う過去を背負った二人ですが、
「戦争と震災」「食べ物」「女性が働くこと」「お嬢様からの脱出」「女友達」などなどいくつかの共通点があって、
それぞれの主張が相手を丸め込むことなく描かれています。
そんな二人のやり取りにとても窪さんらしさを感じました。
一人ひとりが孤立化してしまった現代に、お節介は必要なもの。だけど必ずしも善ではありません。
孤立無援になってしまう親子のためにと、お節介を続ける晶子だけど、
すべてにおいて感謝されるわけではありません。
だけど悩みながらもお節介をやめられない晶子の姿にこちらも必死に声援を送りたくなります。
温かい家庭、きちんとした親、素直な子供…などなど、そんな世間が言う「正しさ」が大事なんじゃない。
その枠をはみ出したって、ただ「生きていくこと」が尊いんだ、と窪さんは常に言っておられる気がします…。
そのために、間違ってるかどうかわからないことでも、
誰かのためにできることを懸命に模索していくんだなと思えました。
 
これを読んでいて、先日読んだ山内マリコさんの本を思い出しました。
山内さんも窪さんと同じR-18文学賞の出身なのだけど、これは偶然なのか、当然なのか。
女性同士の描き方にとても共通点を感じたんですね。
女性と男性の間には、体という壁があってそのずっと先に心がある感じなんですよ。
体が先に接触して、その向こうにある心に通じていくのかな。もしくは心までなかなかたどり着かないか。
この作品では、心まで届く男性は少なかったですもんね…(^_^;)本音で近づこうとすると逃げちゃう男性陣…。
なのに女性同士だとまるで壁がなく、気づけば心の横まですっとたどり着いてる。
至近距離で発せられる言葉は、心に直接響いて、かけがえのない支えになったり、癒えない傷を作ったりする。
女性同士は良くも悪くも、心に受ける影響がとても大きい。
直接会わないと交信できない男性とはつながる次元が違うのか、
彼女の存在や言葉は、場所も時間も軽々と超えてしまうのです。
晶子や真菜にも大きな影響を与えた女友達や母親がいて、
その煩わしいほどの結びつきを深く考えてしまいます。
だけど、負の面を共有した関係だとしても、それに囚われてしまわないで、
対等に向き合えるといいなと思います。
 
タイトルが「アニバーサリー」…晶子と真菜が再会する震災の日や、終戦日などを指してるのかな。
記念日というと、つい誕生日とかおめでたい日のように思ってしまって、不謹慎な気がしたけど、
正確にはそうじゃないんですね。
記念とは、 思い出となるように残しておくこと。
また、そのものや、過去の出来事・人物などを思い起こし、心を新たにすること、と書かれてあります。
その通りだなぁと思う。
そういう日を越えて、人は生き続けていくんでしょうね。