駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『ブランコ乗りのサン=テグジュペリ』 紅玉いづき

初読みの作家さん。
少女たちの清冽な繊細さがとても伝わってくる文章が素敵でした。
読んでて、音の気配が消えるんですよ。
にぎやかなサーカスが舞台なのに、彼女たちが語りだすと、すーっと世界が沈黙するんです。
だから、表面にはか細くしか現れない彼女たちの心の襞が、
浮き彫りにされるように描かれるんですよね。

<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
20世紀末に突如都市部を襲った天災から数十年後、震災復興のため首都湾岸地域に誘致された大規模なカジノ特区に、客寄せで作られたサーカス団。花形である演目を任されるのは、曲芸学校をトップで卒業したエリートのみ。あまたの少女達の憧れと挫折の果てに、選ばれた人間だけで舞台へと躍り出る、少女サーカス。天才ブランコ乗りである双子の姉・涙海の身代わりに舞台に立つ少女、愛涙。周囲からの嫉妬と羨望、そして重圧の渦に囚われる彼女を、一人の男が変える。「わたし達は、花の命。今だけを、美しくあればいい」。

夢の世界を作り出すには、
現実を、普通の人たち以上に痛烈に猛烈に過酷に非情に受け入れなければならないんですね。
それは猛烈な練習であったり、痛烈な批判だったり、
過酷な試練であったり、非情な周囲だったりするのでしょう。
その現実を彼女らは自分の内に受け入れて、咀嚼して踏み越えて、
そして我々に浄化した夢だけを与えてくれるんですね。
それをまざまざと見せつけられた気がしました。
少しでも現実が舞台に漏れないように演者が心を砕くから、
嘘みたいな夢の世界も、キラキラと純粋に心に届いてくるんだろうなぁ…と、
宝塚の舞台を思い出しながら、そう思ってしまう…。

なぜここで宝塚かというと、
この曲芸学校の描写が、宝塚の音楽学校をモデルにしてると思われるからです。
重なる点がいくつもありました。
二年間のカリキュラムであること、入学資格が15~18歳であること、掃除が厳しいこと、
軍隊のような規律を守らねばならないこと、上下関係が厳しいこと、等…。
曲芸学校の、上級生にしごかれる下級生のエピソードは、音楽学校の予科生とそっくりですしね。
だから作中で書かれてある、
上級生が下級生に鞭のような言葉を投げかけるのは、ある種の優しさで、
中途半端にこの学校に残るより諦めさせるのも務めであるという言い分に、
ちょっと納得もし、ほっともしたりもしました。
(つまりは、この先の更なる厳しさを超えるための耐性をつけるため、ということにもなりますよね)
上級生の異常な厳しさは、下級生の時にやられた腹いせではないんですよね!?(と信じたい…)

パラレルの日本が舞台のようですが、雰囲気やらなんやらいろいろ現実離れしてるので、
もうファンタジーの世界ですね。
「不完全であれ、未熟であれ、不自由であれ」と団長シェイクスピアが言います。
それは決して不十分のままでいいということではなく、
常に更なる上を目指し、現状で満足するな、ということになるんでしょうね。
舞台は生もの。成長や試行錯誤で、日に日に違う色を見せる舞台は、やがて観客を虜にしていくのです。



(以下、少しネタバレの感想…)




涙海と愛涙という双子の取り替えによって、才能と覚悟を天秤にかけるように思いました。
最高の才能があれば、最高の演目者になれるか?その答えは、否でした。
どれだけ自分を懸けられるか、どれだけのものを犠牲にできるか。その覚悟があるか。
それが、涙海と愛涙、アンデルセンとチャペックの行方を分けた気がします。
舞台を離れる者と舞台に残る者。
涙海も愛涙も、それぞれが望む道へと進むことができたこの結末は、一応ハッピーエンドと言えるのでしょうね。その道がたとえいばらの道だとしても…。




余談ですが、まさかこのサーカスと同じ背景が宝塚にもあったりしないよね?
とちらっと頭を掠めました(^_^;)
なにせよく予想の斜め上を行く人事を行ったりしますからね~。
まあ、そうではなくとも劇団や本人たち以外の意志も色々と働いてるんだろうなぁとは
想像してしまいますが…。

とまあ、ヅカファンの私としては、いろいろ宝塚と重ねて見てしまう部分もあったのですが、
一つの道を極めようとする少女たちのお話を、透明感あふれる文章で描かれていて面白く読みました。
結末は、いくつかの答えがあまりきちんと書かれてなかったり、
(大体わかるのですけど、最後の章は少し散漫な印象です)
ラストの主人公が涙海に変わったことで、ちょっと感情移入がしづらかったりしたのですけど、
この世界観がとても素敵だったので、あまり気になりませんでした。
キラキラちくちくした紅玉さんの文章が好きだったので、他の作品も読んでみようかな。