駄文徒然日記

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『ヨハネスブルグの天使たち』 宮内悠介

ぐあー、またしても圧倒されてしまった…。
面白かった。全然わかんなかったけど、面白かった。
やっぱ宮内さんの作風が肌に合うんだな、私。
 
<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
ヨハネスブルグに住む戦災孤児のスティーブとシェリルは、見捨てられた耐久試験場で何年も落下を続ける日本製のホビーロボット・DX9の一体を捕獲しようとするが―泥沼の内戦が続くアフリカの果てで、生き延びる道を模索する少年少女の行く末を描いた表題作、9・11テロの悪夢が甦る「ロワーサイドの幽霊たち」、アフガニスタンを放浪する日本人が“密室殺人”の謎を追う「ジャララバードの兵士たち」など、国境を超えて普及した日本製の玩具人形を媒介に人間の業と本質に迫り、国家・民族・宗教・戦争・言語の意味を問い直す連作5篇。才気煥発の新鋭作家による第2短篇集。

恥ずかしながら、どのお話もほんと理解できなかったんですよねー(^_^;)
世界情勢に対する知識不足、民族紛争の理解不足、戦争関連用語の知識不足、
あとカタカナ語が苦手だとか、それ以上に理系話に頭がついていかないとか、
ほんと自分がどこが面白かったのか説明できないんですけど、
読みながらどんどん引き込まれていっちゃって、とある一文にやられてしまったりしちゃうんですよね…。
全体像がつかめなくて理解不能なのに、読んでて面白く感じるのは、
舞台が彼の中で出来上がったゆるぎない世界で、細部にまで説得力があるからなんでしょうね。
私は部分部分を楽しんで読んだ気がします。
とにかく刺激的な読書でした。
好き嫌い分かれる作品でしょうね。伊藤計劃さんが好きな人は好みな世界だと思います。
 
ロボットと人間の境界線についての投げかけは、幼き頃から手塚治虫氏の作品で出会ってから、
ずっと私の中にある永遠の課題です。
この作品では、それを含め、色々な境界線が不明になっていく現代を描いているように感じました。
リアルとバーチャルなんていうけど、もはや「リアル」が何たるかも曖昧になってしまっていますよね。
目で直に見る映像も、脳が見せるバーチャルとも言えるわけで、
そうなってくるとリアルを超えるバーチャルもありえる現実…。
この作品ではさらにその境界線を失いかけてる世界を描きます。
 
「戦争」って戦い争うって書きますが、武器を持って戦う現場は戦争の一部ではあるけど、
戦争そのものではないわけですよね。
結局、「戦争」って後付して括られるすべてに対しての総称みたいなもので、
その現場には終結するまでは、不明瞭な線引きがあちこちに散乱して、混乱してるように思います。
敵味方と明確な対立がありそうで、実はそんな単純なものではないということです。
その曖昧さを痛感させられました。
 
前作「盤上の夜」でもそうでしたけど、実際にある話を上手に使われるなーと思います。
今回も、ツインタワーの設計者であるミノル・ヤマサキバーミヤンの磨崖仏の破壊、
南ア元大統領ネルソン・マンデラ、9.11テロ、計画都市などなど、
フィクションに挟み込まれるノンフィクションが絶妙。
だからSFストーリーなのに、どこか馴染みがあるように感じられたり、説得力があったりするんでしょうね。
 

(以下、ネタバレ込みでの各短編ごとの感想。未読の方はご注意を)
 
 
ヨハネスブルグの天使たち」(CITY IN PLAGUE TIME)
大量の歌姫ロボットDX9(初音ミクがモデルかな)が空から降ってくるという、すごい光景を提示する本作。
この後DX9の落下はすべての作品に登場します。
先日、南ア元大統領ネルソン・マンデラが死去しました。
そのマンデラを継いで、DX9たちを虹の国へと誘うようなラスト。
根深い人種問題が、こんな風にしか解決しえないとしたら悲しい。
 
「ロワーサイドの幽霊たち」(OUR BLIEF ETERNITY)
9.11テロをモチーフにした作品。「行動分析学」からここまでの舞台を作り上げる発想にやられました。
そして実際の証言をいくつも並べて、「THE FALLING MAN」へ繋がるラスト。
理解不足は大いにあるけど、ラストシーンのあと副題を見返して、
まさにふさわしい気がして、恐れ入るのでした。
 
「ジャララバードの兵士たち」(THE FREQUENCY OF SILENCE)
バーミヤンの磨崖仏に対する言葉が印象的。
アフガニスタンの大仏は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」とは
イランの映画監督の言葉だそう。
このニュースを実際に知った時、結構衝撃を受けたのでこの言葉は響きました。
大事な問題に焦点を合わせることの難しさ。
大仏うんぬんより、もっと見なくてはならない問題があるだろうってことですよね。
<現象の種子>は全ての境界線をなくそうとします。
これもまた焦点がずれてしまった悲劇なのかなと思いました。
 
ハドラマウトの道下たち」(TO PATROL THE DEEP FAULTS)
前の「ジャララバード~」に出てたルイが再登場。ここら辺から今までの話がゆるく繋がってきます。
物体と心の境界線がこの作品ではますますわからなくなっていきます。
DX9のゲリラの主導者。そのオリジナルの新興宗教のリーダー。
同じ人格なのに対立し、真逆の立場に立つという歪さ。
ヒルが言う。「同じ人格は二つはいらない」。
違う立場で対立するのが紛争だと思ってたけど、同一でも争いがありうるなら、
解決の糸口なんてのはそうそう見つけられない気がする。
 
「北東京の子供たち」(HOW WE SURVIVE,IN THE FLAT(KILLING)FIELD)
これまでの話をすべて引き受けるような話。雨のように降るDX7ミノル・ヤマサキ。ルイ=兄・隆一。
それでいて描かれる問題が家族問題。
民族たちの大いなる紛争も家族という一番小さな単位も、
詰まるところでは同じことでうまくいかないのかもしれない。明確な意志疎通の難しさとかかな。
これまでの作品すべてで落ちていくDX9が、ここでは停止されるのが印象的。
 
様々な「場所」で起こる紛争、悲劇。それらを「フレーム問題」として解決できればいいんだろうな。
出自も主義も肌の色もごっそり取り払われれば、争う必要はなくなる。
かといって「現象の種子」に頼って人類補完計画みたいになっちゃうのもね…。
個々の意志に大きな違いはないのだから、直接一対一で向き合えばうまくいきそうなのに、
フレームで囲われて何らかのまとまりになるとうまくいかなくなるんですよね。
だからってその線引きが現代みたいに曖昧になって混乱すると、更なる混乱を生み出すという…。
ああもう、ちゃんと理解できてないから、感想もこんなわけわからないものになってしまいました><

だけど、また宮内さんが本出されたら、読んじゃうんだろうな、私。