駄文徒然日記

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『昨夜のカレー、明日のパン』 木皿泉

木皿泉さん(といっていいのかな?呼び方に少し迷う…)の初小説。
 
もともと脚本家なためか、小説として読みづらい文章もところどころあったけど、
木皿泉さんらしい鋭さと温かさがあって、心地よく読了。
対談集「二度寝で番茶」での刺激的な毒は、こちらではかなり薄味で、読みやすくなっております(笑)
 
<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだ―。七年前、二十五才という若さであっけなく亡くなってしまった一樹。結婚からたった二年で遺されてしまった嫁テツコと、一緒に暮らし続ける一樹の父・ギフは、まわりの人々とともにゆるゆると彼の死を受け入れていく。なにげない日々の中にちりばめられた、「コトバ」の力がじんわり心にしみてくる人気脚本家がはじめて綴った連作長編小説。
 
読みやすいとはいえ、ドラマ同様、鋭く抉る視点は健在で、ただやさしいだけのお話ではありません。
なんだろうなぁ、お話の展開はそんな大それた感じじゃないんです。
まあ「普通」とは言い難いけど、淡々と送られる日々の、細部にやられてしまうのです。
日常のなんでもないところに、実は「気づき」が転がっていて、
この物語はそれを丹念に見つけて拾ってくれるんですよね。
「悲しいのに、幸せな気持ちにもなれる」ことだとか、
大きな悲しみにぶつかったとき「悲しい」より「助けて」の方が気持ちに近いんだとか、
自分は切り開いていく「ファスナーの先端」になれることだとか、
人は変わってゆくけどそんな過酷なことが人を救うんだとか、
読んでて「ぐあっ」て思わされる言葉があちこちに散りばめられています。
 
これは「一樹の死」を筆頭に何かの「生死」に囚われて、
ぬかるんだ場所から動けなくなってしまった人々の話とも言えます。
澱のように滞った場所で、繰り返しのような日々を送る中で、
やがて「自分の生と大切な人の死」に対して自分なりの答えを出してゆくのです。
 「くたくたになるまで生きるわ」「動くことは生きること、生きることは動くこと」
「もういいよね、一樹は死んだってことで」「自分は、今、間違いなく生きている」…。
そんな言葉を決意表明のように明確に示すことが、次への一歩を踏み出すきっかけとなっていくんですね。
 
ないがしろにされている事柄を、
当たり前のように流れていく日々に身を任せてしまうんじゃなくて、
当たり前のように思われてる常識に身を任せてしまうんじゃなくて、
立ち止まってきちんと自分で吟味することが必要なのかな?
今の「生」も過去の「死」も当たり前のようにそこにあるものじゃないのだから。
 
いろんな経験がごちゃ混ぜになって馴染みの味になった、昨夜のカレーのような過去に浸るのもいいけど、
明日の朝の焼き立てパンに、どんなのつけて食べようかと、気持ち新たに待つ明日も大事なんじゃないかな、
という意味が込められてるのかなと思ったタイトル。
明日のカレーじゃだめなんですよ、たぶん。なんか心憎いですね。
 
これ読んだ友人は、何が言いたいかよくわかんなかったと、あまり好きじゃなかったようで、
好き嫌い分かれる作風なのかなと思うけど、私は大好きですねー。
読みながらしきりに「やられたー」と思いますもん。
木皿泉脚本ドラマが好きな方はオススメです(^^)