駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『蝶』 皆川博子

気づけばずぶずぶと妖しい世界に引きずり込まれていたような。
本から顔を上げるたびに、深く深く溜め息を吐いてしまいます。
恐るべし、皆川ワールド。
 
<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
インパール戦線から帰還した男は、銃で妻と情夫を撃ち、出所後、小豆相場で成功。北の果ての海に程近い「司祭館」に住みつく。ある日、そこに映画のロケ隊がやってきて…戦後の長い虚無を生きる男を描く表題作ほか、現代最高の幻視者が、詩句から触発された全八篇。夢幻へ、狂気へと誘われる戦慄の短篇集。
 
「綺麗は穢い 穢いは綺麗」というシェイクスピアの言葉が中でも出てきますが、
この作品全体にも通じていく気がします。
正しいは間違いで、間違いは正しい
欠けてる人は豊かで、足りてる人は悲観する
眩過ぎる光は翳り、闇は輝く…
そんな逆説の中をこの作品は行くような気がして、その幻惑的なパラドックスに引き込まれてゆくのです。
 
この作品集は蓮の花のようなものにも思えます。
どの話も美しく花開くのですが、その根は地下茎のようにすべて繋がっていて、
同じ血が流れているように見えます。
扱う時代、何度も被るキーワード、そして根っこで似通う屈折した主人公たち。
そしてうっとうしく絡まりつく泥濘の中から、美しい花を開かせるのです。
ひどく暗い題材たちなのに、やたら色鮮やかで、古き時代を描くのに、やたら鮮明で。
 
「空の色さえ」で「わたし」は、生首が歌っても怖くないけど、
見世物としての生首が、首のほかは一日中土の中にあって過ごすということの方が恐ろしい、と言います。
本当に怖いのは、自分の延長上にある現実。なぜならつきつけられて逃れられないから。
この作品集では、異世界に心を奪われ、現実と決別するお話たちが並べられているような気がします。
異世界…それは離れだったり、薄暗い階段の向こうだったり、海の中だったり…気づけばふとそばにあって、
だけど「現実」とは異なる空気を持つ場所のようなもの。
現実を居心地悪く思う彼らは、異世界でこそ、自然体でいられるように見えました。
そして「死」が疎ましい現実を断ち切る手段となっています。
それは、死そのものであったり、魂の死であったり、関係性の消滅となる死だったりします。
その「死」への転換が非常に鮮やかで、一見悲劇的な終わりになりそうなところが、
堕ちることなく高みにのぼり、鋭く胸を刺し、印象的に心に残るのです。
もうほんと、どの話もクライマックスがあまりに見事に昇華されていて、
こちらは突き落とされるような感覚に陥ります。
 
「空の色さえ陽気です、時は楽しい五月です。」
その詩は軽やかに歌うのに、作中で繰り返されればされるほど、どんどん色が変わってきてしまう。
同じ言葉なのに、空の色も、その高さも、明るさも、変わってゆく。
全ての作品に引用されるそれぞれの詩と話の呼応する様は、何か深みに嵌っていくようで、
読むごとに恐れおののきそうになっていきました。
ここで読まれる印象的な「詩」たちは、作中の現実と異世界を繋ぐ役を持ち、
やがて「死」へと結びついていくのです。
 
一応、この作品集は幻想小説というくくりになるのかな。
私、そういうわかりにくい話は苦手なはずなんですけどね。
「理解する」とかそんな些末なことは吹っ飛んでしまうくらいに、強烈な物語たちでした。
はああ、皆川さんにはすっかりやられてしまいました。
何なんでしょう、この濃密さ。
それをしっかり味わいたくて、二度読んでしまいました。
一度目はどっぷり浸るために、わき目も振らず読んで、
二度目は気になる語句をいちいち辞書で引きながら、全体を掴むため駆け足で読みました。
(だって知らない語句が多すぎて…(^^ゞ湯文字も知りませんでした~)
すぐに二度も読めるほど薄い本なんですけど、
もう眩暈がしそうなほど蠱惑的で、皆川先生に平伏したくなりました。