駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『砂の女』 安部公房

ずっと読みたいなーと思っていた安部公房。たまたま機会があって人から借りることになりました。
こういう、いつでも読める本って先延ばしになりがちですものね(^^ゞいい機会に巡り合えてよかったです。

面白かったですよ!
想像以上に読みやすくて、こういう不条理小説はあまり得意ではないのですが、そんな私でも面白く読めました。
こんな状況、あり得るわけないのに、砂だらけの世界の、このリアリティはなんなんでしょう。
安部さん、砂にまみれながら執筆されたの?って思ってしまうくらい、肌に届く描写がすごい。
もうずっと口の中がざらざらしてる気がして、体中が砂だらけのような不快さを感じながらの読書でした。
でも面白いからやめられない(笑)
これは夏に読んじゃダメですね。カラッカラに乾きすぎてしまいそうです。

<内容紹介>(「BOOK」データベースより)
砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに、人間存在の象徴的な姿を追求した書き下ろし長編。20数ヶ国語に翻訳された名作。

留まる事のないという砂の描写にすぐ砂時計を思い浮かべました。
この砂の描写は時間や人生のようなものにも重ねられるのだろうな。
そして、個人を囲む世間とも言えるのでしょうか。
砂自体に意志はないのに、ひとところに留まらないそれは、立ちすくむ彼に覆いかぶさるように迫ってきます。
一個人ではない、大いなる流れがあって、それに逆らおうとするとたちまち飲み込まれてゆくのですね。
とにかく砂、砂、砂、砂…なんです。読めばわかります。
淡々とした筆致なのに、この、ものすごい圧迫感というか、つぶされそうな閉塞感というか、すごいですね。
ねっとりした文体ではないのに、なんとも言えないこの生々しさは、ぜひ読んで体感してください。
女の人の描写とか、ぞくっときちゃいました。なんかエロチシズム…(笑)



(ちょいとネタバレ。未読の方は読まれませんよう)



主人公の男が捕まった場面が印象的でした。
恥辱さに居たたまれなくなって、男は一旦折れちゃうんですよね。
沼のような砂地で身動き取れなくなって「死にたくない」と本心から叫ぶのだけど、
それは本気で誰かに助けを求めてではなかった。
ここの描写がすごく心に引っかかりました。
砂の女」は今読んでも全く錆びない作品ですが、
主人公の感覚は、やはり現代人とは少し違うのかなと思ったわけです。
「日本人は恥の文化」と言いますが、まさにそれが色濃くあるなぁという印象。腹切り文化と言いますか。
生き延びたいが故、村人に折れるわけではなく、
みっともない自分の姿を見られたことに矜持が折れたわけですもんねぇ。
新種を見つけ自分の名前を残すことに必死なのも、名にこだわる日本人的思考とも言えるのかな?

この村を外からしか見てなかった彼が、捕まって観念したのを機に、
内側からの視点を得たのも印象深かったです。
彼を囲む、砂や村人たちと無暗に対立するのではなく、
今いる場所にきちんと立ってみる、そこから歩んでみようとしてみる。
すると、逃げ出すことのみに囚われていた最初とガラッと変わって、新しい道が見えてきます。
やがて強力な切り札を得た彼は、いつでも、どうにでもなる、と余裕まで持ってしまうんですね。
そして、自分で道を選択できるという「自由」を得た彼は、そこにとどまることを選んだのでしょうね。
ラストが冒頭で示されているのにもかかわらず、
どうなるんだろうとハラハラしながら読み進めていったのですが、思わぬ結末だったなぁ。




余談。
砂丘と言えば、まっさきに鳥取砂丘を思い出しますが、
これを読む前に、「砂の女」の舞台のモデルが山形県の庄内砂丘だと知りました。
鳥取砂丘には行ったことあるけど、解放的に開けた印象なので、イメージが違うものなぁ。
庄内砂丘はよく知らないけれど、画像を見たりすると北側の日本海に面して、なんとなくそれっぽい…。
この砂の村や、砂の中の家の様子が気になるので、
映画も見てみたい気もするけど…イメージが固定されちゃうのも嫌かなぁ…。
迷ってしまうな。