駄文徒然日記

移行したばかりです。これから整理していきます。

『MW [ムウ]』 手塚治虫

手塚作品とは小学校からのお付き合いです。
あの膨大な作品群、全てとはいきませんが、
結構読んだ方ではないかと思います。

その中でこの『MW』。
映画化にあたり、どんな作品だったか思い返してみると、
内容を思い出せません。
押し入れから本を探してみたら、
全二巻のうち、一巻しか持っていませんでした。
読み返してみて、「…納得」。
私には受け付けない内容だったんですね。
それで一巻だけ買って、続きを買わなかったようです。
あらゆるタブーに挑戦した作品というんでしょうか?
まず、ホモ設定がダメで(友情以上愛情未満なのは好きなんですけど…笑)
残酷で、非道な結城のキャラに全く感情移入できず、
途中でギブアップしたようです。
あれから何年もたちましたので、私も少しは大人になりました(苦笑)。
今回、二巻を購入して読みなおしました。

手塚さんの作品は、読後感が明るくすがすがしいというものは少ないと思います。
常に主人公たちは葛藤し、悩み、苦しんでいます。
だから、私も手塚作品を読み終えるたびに、一筋縄ではいかない問題を抱えさせられ、
重いため息をつくことになるわけです。
そういう意味では、重い話であるこの「MW」を特別、異色な作品だとは思いません。
(異色なのは、露骨な表現方法ですよね…)

手塚さんのテーマには「正義」というものが常にあるように思えます。
それは他者からみたら間違った道に見えても、本人にとって「正義」であったりします。
どこに善があり、悪があるのか。答えはありません。
この「MW」では特に顕著に、その二元論の混沌があらわされていると思います。
つまり「正しいとか悪いとか」「男だとか女だとか」「善とか悪とか」
そんなの知ったことか、ってことです。
結城の非情な行動や自分勝手な考えは、利己的な悪に見えます。
しかしその原因は、MWに脳を侵された故の非人道性であるとも言えます。
そしてそのMWは、利権のために、権力者たちによって生み出されたわけです。
結城は目的のためだと言って、安易に殺人を繰り返します。
しかし、権力者たちは自らの手を汚すことなく、非人道的兵器を作りだしたり、
戦争を起こしたりして、大量殺人をやってのけます。
最後、判が「国民をなめるなぁ」と言います。
手塚さんのメッセージの一つがここにあると思います。

さて結城と澄子。
極悪非道なのに、神父さんを慕っていたはずの、澄子が彼に惚れてしまいます。
最初は、何故?と疑問でした。
彼の容姿くらいで心変わりするような人には思えません。
彼女は、彼の「哀しみ」を受け止めたのかもしれません。
同じ手塚作品の「三つ目がとおる」の写楽も、
目的のために手段を選ばない非道っぷりを見せます。
そのキャラの相手役の和登さんは、友達ではなく、恋人でもなく、
母親の役割を大きく担っています。
彼女の母性を、写楽は強く求めるわけです。
結城も澄子に母性を求めたような気がします。
彼女が「殺せば」といった際に、「ぼくは殺人者じゃない」と言います。
結城が彼女の気を引いたきっかけは、賀来への嫉妬だったはずです。
賀来から引き離せば、もう用なしとも思えます。
でも彼は殺しません。
物語中で、澄子は「悪魔に魅せられた馬鹿な女」だと言います。
でも、結城の行動の不可解さから、そんなことを考えました。

結城と賀来の関係は、もう「愛」ですよね。
賀来は何度も「彼の魂を救わねば」と言います。
そのセリフは言い訳めいて聞こえます。
賀来にとって、結城一人の命と、結城によって殺されようとしてる何万人もの命は、
天秤に乗せて選べないわけです。
結城は賀来の愛を確認することで、
自らの正義を信じる道(虚栄と欲望に満ちた人類の滅亡)を進みます。
賀来は結城を止めるのが正義であると思いつつも、彼を愛する欲の前に身動きがとれません。

そして権力者たちの、自らの利権と、それを守るために犠牲になるやはり何万人もの命は、
秤の上で同等の価値を示すわけです。
結局人間は、目の前の現実的な欲望の前に、理想の正義を失いかねないのです。
目黒刑事が賀来に向かって言い放つセリフに
「何が悪と言って、犯罪を見過ごして目をつむるほど下劣な悪はありませんよ」
というのがあります。
これは本当は、全ての人に向かって投げかけられているのかもしれません。